大判例

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横浜地方裁判所 平成4年(ワ)2688号 判決

原告

大磯君子

被告

小野田浩

主文

一  被告は、原告に対し、金一〇四三万一五六九円及びこれに対する昭和六二年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。ただし、被告が金一〇〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金四九七三万〇二八六円及びこれに対する昭和六二年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要等

一  本件は、追突事故の被害車両の助手席に同乗し負傷した原告が、加害車両を運転していた被告に対し、自賠法三条、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実等(次の事実は、括弧内にその認定証拠を掲げた事実を除いて、当事者間に争いがない。)

1  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 事故の日時 昭和六二年一月一八日午後四時一〇分ころ

(二) 事故の場所 神奈川県相模原市相模原五―一一先市道上

(三) 加害者 被告(加害車両を運転)

(四) 加害車両 被告所有の普通乗用自動車(相模五九り四一九)

(五) 被害者 原告(被害車両に同乗)

(六) 被害車両 訴外高橋由貴(以下「高橋」という。)所有の普通貨物自動車(相模四〇ち九八二六)

(七) 事故の態様 高橋運転の被害車両の後部に、被告運転の加害車両の前部が追突した。

(八) 事故の結果 原告は、頭部外傷、後頭部打撲、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を負つた。原告は、相模原伊藤病院に昭和六二年一月一八日から同月二三日まで入院し、河口外科整形外科医院に同月二三日から同年四月一一日まで入院し(乙三の2、24、29、乙四の2)、国立相模原病院に同年五月一三日から通院した後、同年六月三日から同年一〇月二五日まで入院し(乙四の21、乙五の5、原告本人)、その後も同病院に通院している。その間、豊丸鍼療所に通院し、また、にいの整形外科に平成元年九月六日から同年一二月一九日まで通院した(甲五二の1ないし42)。

2  責任原因

被告は、加害車両を所有し自己のために運行の用に供していたものであり、また、前方不注視により追突したものであるから、自賠法三条、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告に生じた損害の賠償責任を負う。

3  損害の填補

被告契約の保険会社より原告に対し、合計一一八八万〇七八〇円(治療費五八二万二七四五円、入院雑費一五万七一五〇円、交通費二五万一八五〇円、家政婦費用として四三五万八〇三五円、子供の保育費として一二九万一〇〇〇円)が支払われた。

三  争点

本件の争点は、1本件事故と原告主張の後遺障害(腰部及び下肢の痛み等)の因果関係及び、2原告の後遺障害の程度及び損害額である。

1  本件事故と原告主張の後遺障害の因果関係

(一) 原告の主張

原告には本件事故以前から腰部脊柱管狭窄症又は黄色靱帯(黄靱帯)(以下「黄色靱帯」という用語を用いる。)肥厚が存在し、本件事故によつて原告の第四腰椎と第五腰椎との間の椎間板に腰椎椎間板ヘルニアが生じて神経に対する強い機械的刺激が加わつた結果、腰髄癒着性蜘蛛膜炎及び腰髄神経根炎が発生し、神経系統の機能障害のため、腰痛、左下肢のしびれ、疼痛、筋力低下の後遺障害が生じ(昭和六三年一月症状固定)、軽易な労務以外の労務に服することができない状態となつた。

(二) 被告及び補助参加人の主張

原告は、本件事故以前から脊椎間狭窄症の既往症があり、これに基づく症状を本件事故による後遺障害として主張しているのであり、本件事故と原告主張の後遺障害の因果関係はない。なお、本件事故後に国立相模原病院で手術を受けた(昭和六二年七月二二日)際の術後診断は、黄色靱帯肥厚による先天性脊柱管狭窄であつたところ、黄色靱帯肥厚は先天的あるいは加齢によつて生じるものであり、本件事故と因果関係がある傷病ではない。

2  原告の後遺障害の程度及び損害額

(一) 原告の主張

(1) 治療費 六六二万六〇九五円

昭和六二年一月一八日から平成四年八月二八日までの間の治療費六六二万六〇九五円。

(2) 将来の治療費 二九八万二八〇三円

原告の後遺症の治療に要する費用は、今後年間一七万円を下らないところ、原告は平成四年九月現在三九歳であるから、平均余命四三年分の治療費につき、ライプニツツ方式により中間利息を控除して算出すると二九八万二八〇三円となる。

(3) 装具費用 六万二八五五円

原告は、本件事故による受傷のため、腰椎用装具などの装具費用として六万二八五五円支払つた。

(4) 入院雑費 二七万六〇〇〇円

一日につき一二〇〇円、入院期間二三〇日分。

(5) 通院等交通費 六五万五七四〇円

(6) 将来の通院交通費 二一一万三九三〇円

今後月に二回の割合で治療のため通院する必要があり、通院費用は一回あたり往復五〇二〇円であるから、平均余命四三年分の将来の通院交通費につき、ライプニツツ方式により中間利息を控除して算出すると二一一万三九三〇円となる。

(7) 休業損害 四三五万八〇三五円

原告は、本件事故による受傷のため家事ができず、事故日から昭和六二年一二月末日までの間家政婦を雇い、四三五万八〇三五円の休業損害を被つた。

(8) 子供の保育費 一九四万一〇〇〇円

原告は、本件事故による受傷のため自ら保育ができず、昭和六二年二月一日から平成二年九月一八日までの間、保育園の費用一九四万一〇〇〇円を支払つた。

(9) 後遺症逸失利益 二五〇九万四六〇八円

原告には、右三1(一)記載のとおり、腰痛、左下肢のしびれ、疼痛、筋力低下という後遺障害が生じたが(昭和六三年一月症状固定)、右後遺症は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級の第七級に該当するので、労働能力の五六パーセントを喪失し、昭和六三年一月から原告が六七歳になる三三年間家事労働に従事するとして、賃金センサス平成二年第一巻第一表、産業計、企業規模別計、学歴計、女子労働者の全年齢の平均賃金である年間二八〇万〇三〇〇円を基礎とし、ライプニツツ方式により中間利息を控除して算出すると二五〇九万四六〇八円となる。

(10) 慰謝料 一三〇〇万円

(11) 弁護士費用 四五〇万円

(二) 被告及び補助参加人の主張

原告の主張する後遺障害は、本件事故と因果関係のあるものではない。

その余の原告主張の損害については、治療費については五八二万二七四五円の限度で、入院雑費については一五万七一五〇円の限度で、交通費については二五万一八五〇円の限度でそれぞれ認め、慰謝料額については争い、その余は知らない。

第三争点に対する判断

一  争点一(本件事故と原告主張の後遺障害との因果関係)について

1  まず、本件事故前の原告の腰部及び下肢の病状について判断するに、証拠(甲六二の1ないし31、甲六三の1ないし19、証人工藤、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和二八年三月一二日生まれの女性であり、二三歳のときから五年間キーパンチヤーの仕事をしていた。二四歳のころから午後になると腰部に鈍痛が生じ、左座骨神経領域に疼痛を感じることがあつたが、一晩臥床安静すると疼痛は軽減していた。

(二) 原告は、妊娠八か月であつた昭和六〇年四月ころ、洗面器で浴槽から洗濯機へ水を移す作業中、いわゆる腰が抜けた状態となり、歩行障害が生じた。一、二日間臥床安静していたところ、痛みが軽減し、通常の生活ができるようになつた。しかし、その約一週間後から徐々に腰部から左下肢に痛みが出現し、臥床安静していても疼痛は軽減せず、不眠症となり、朝は痛みが増強し、動作をすると痛みが強くなり、起床時には夫にマツサージをしてもらつて起床するという状態が同年六月の分娩時まで続いた。五月ころからはしびれも出現した。

(三) 原告は、昭和六〇年六月一〇日に第二子を出産したが、出産後も右疼痛は持続し、子供を抱き上げることができなかつた。北里大学病院産婦人科退院時に、同院整形外科で受診し、薬物療法が施行されたが、症状は変わらなかつた。立位及び歩行は比較的楽であつたが、長時間の継続は困難で、歩行継続可能時間は約三〇分程度であつた。座位が最も困難であり、階段の昇降、中腰も困難であつたが、着衣の着脱を行うことはできた。同院産婦人科を退院後、約一か月間、週一回程度カイロプラステイツクを行つたが疼痛は増強した。硬膜外ブロツクは治療効果が見られたが仙骨ブロツクはあまり効果がなかつた。しびれ感は、大腿部の外側から後面にかけて強かつたが、跛行はなかつた。

(四) 原告は、腰及び下肢の疼痛が軽減しないため、昭和六〇年一一月九日、検査目的で北里病院整形外科に入院した。入院当時、原告は、左腰部から左下肢にかけた痛みとしびれが強く、跛行もあり行動制限のある状態であり、同整形外科は、原告の入院時の症状について、左根性座骨神経痛、脊髄腫瘍の疑いという診断をした。同月一一日からは骨盤牽引を開始し、同月一二日、硬膜外ブロツク治療が施行され、原告の腰痛は一時軽減したが、日常生活動作によりまた痛みが増強された。

(五) 原告に対し、同月二〇日に脊髄造影が行われたが、その結果、著明な圧排像はないものの、左第五腰椎神経根の描出が右側に比べ悪く、第四腰椎と第五腰椎の間で前方よりの軽い圧排像が認められた。同整形外科は、原告は手術適応ではないと判断し、保存療法を行うこととした。原告は、同月二二日、同病院麻酔科で腰部交感神経ブロツク治療を受け、腰痛が軽減したため、同日、原告の強い希望もあり退院した。退院時においても、左下腿の知覚低下に変化はなかつた。その後、原告は、数回同病院に通院し、鎮痛の注射を受けたが、痛みを感じなくなつたので、通院をやめた。原告は、爾後、家庭の主婦として特段の支障無く日常生活を送り、昭和六一年夏ころには、第二子を背負つたり、子供らと遊戯をしたりすることが可能な状態であつた。

2  次に本件事故の状況について判断するに、争いのない事実と証拠(甲一、乙六の11、一〇、一一、一五、原告本人、被告本人)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告は、昭和六二年一月一八日午後四時一〇分ころ、加害車両を運転中、神奈川県相模原市相模原五―一一先交差点において、交差点手前で一度停止し、その後発車した際、右方に気をとられ、いわゆる脇見運転をして前方を注意せず、約三〇メートルくらい進行し、交差点前方において渋滞のため停止していた高橋運転の被害車両の存在を、被害車両から車体約一台分くらい手前になつて発見したため、急制動の措置をとつたが間に合わず、加害車両の前部を被害車両の後部に衝突させた。加害車両は、普通乗用自動車(トヨタ・ソアラ)であり、被害車両は、加害車両に比し、車体の大きさや総排気量の小さい自動車(乙一一によれば、被害車両は軽自動車であることが窺われる)であつた。衝突直後、加害車両の前部と被害車両の後部は、約五〇センチメートルくらい距離が空いていた。

(二) 本件事故の際、被害車両は高橋が運転し、原告は、助手席に浅く腰を掛け、一歳七か月になる子供を助手席前の空間に原告と向かい合わせになるように立たせ、前かがみになつて子供をあやしていた。原告は、本件事故の衝突により、上半身を後ろの背もたれにぶつけ、上半身に捻じつたような痛みと吐き気を感じた。被害車両を運転していた高橋は、いわゆる鞭打ち症と下肢の傷害のため、約一か月入院した。原告が助手席前に立たせていた子供は、後頭部をぶつけ激しく泣いたが、大きなこぶができた程度で他に異常所見はなかつた。

(三) 本件事故により、被害車両の後部バンパー等に損傷が生じたが、その修理見積価格は、部品代と工賃等合計で四万二一〇〇円であつた。加害車両には、ほとんど目立つた損傷は存しなかつた。

3  本件事故後の原告の症状や診察状況等について判断するに、前示争いのない事実及び証拠(甲二、乙一の1ないし11、乙二の1ないし18、乙三の2ないし6、同9ないし29、乙四の2、乙五の2ないし29、乙八の25、乙一四、証人工藤、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和六二年一月一八日の本件事故直後、原告は、救急車で仁和会相模原伊藤病院に行き、吐き気と頭痛を訴え、点滴をして経過観察をしたが、吐き気は消失したものの頭痛が持続したため、同日、同病院に入院した。入院の際は、原告は、自ら歩行して病室に入つた。翌一九日、腰部から右下肢のしびれ、腰痛を訴え、同月二〇日には、頸部痛を訴えた。原告は、座薬、経口薬、注射などの治療を受けたが、腰痛が増強し、寝返りも打てない状況となり、頸部痛、頭痛も持続していたため、同月二三日に河口外科整形外科に転院した。仁和会相模原伊藤病院で診断した原告の傷病名は、後頭部打撲、頭部外傷性脳震盪症、頸椎捻挫、腰椎捻挫であつた。

(二) 原告は、同年一月二三日に河口外科整形外科で診察を受け、同日、同病院に入院した。その際、頭痛、吐き気、腰痛、頸部重苦感、左足しびれ痛などを訴えた。入院のとき、原告は、自ら歩行して病室に入つた。同月二八日に脊髄造影が行われたが、その像は、第四腰椎と第五腰椎の間の椎間板ヘルニアの像であり、造影剤は、脊椎管の先端部まで達していた。同病院では、投薬等のほか複数回にわたつて硬膜外ブロツクを行つたが、原告の腰部から左下肢にかけての痛みは消失しなかつた。原告は、同年四月一一日に、同病院を退院し、同年五月一二日まで同病院に通院したが、同月一三日からは、国立相模原病院に通院を始めた。

(三) 国立相模原病院に通院を開始した際、原告は、頸部痛、腰痛、左下肢の痛みなどを訴えた。その際、腰痛により北里病院に入院した既往歴については申告しなかつた。原告は、同年六月三日に、精査加療目的で同病院に入院し、神経学的検査により、腰椎の部分の問題があると判断された。そこで同病院では、同月一一日に脊髄造影を施行したところ、第四腰椎と第五腰椎の間の椎間板のレベルに一致して蜘蛛膜下腔が閉塞している、いわゆる完全ブロツクの影像が顕出された。すなわち、通常は、造影剤が第一仙椎付近に達した像が顕れるところ、原告の場合は、造影剤が第四腰椎と第五腰椎の間で完全に止まつてしまい、それ以上先に進んでおらず、さらに、その造影剤の先端部分は、ぎざぎざであり断裂的な不規則な形態を示した。造影剤のブロツクが生じるのは、通常、蜘蛛膜下腔に腫瘍が存在し閉塞している場合のほか、外部から脊椎管が圧迫され閉塞している場合や蜘蛛膜下腔に癒着が生じ閉塞している場合などであるところ、腫瘍により閉塞している場合は、腫瘍の形に一致した円を描きシヤープな像が顕出され、通常、右のような断裂的な不規則な形態を示すことはないことから、同病院整形外科の医長として原告の診療等に関与していた工藤洋医師(本件における工藤証人)は、何らかの原因で外部から圧迫が生じたのではないかと推断した。同年七月二日に、再度脊髄造影を施行したところ、同年六月一一日の像と全く同じ像が顕出された。そこで、脊椎管の圧迫の原因を解明すると共に、圧迫があればそれを除去することを目的として、手術を施行することとした。

(四) 国立相模原病院整形外科において、同年七月二二日に椎弓切除術が施行されたが、術前診断は、硬膜外腫瘍の疑い、であつた。手術の結果、第四腰椎と第五腰椎を結ぶ靱帯である黄色靱帯が第五腰椎レベルで肥厚し、そのために硬膜管及び神経根に圧迫が生じていたことが判明した。だが、第五腰椎レベルの硬膜管はひどくひしやげたような状態になつており、右の圧迫を除去したにもかかわらず、通常は圧迫を除去すると生じるはずの拍動が生じなかつた。また、脊椎管の前方を検査しても椎間板ヘルニアなどの異常所見は発見できなかつた。原告の病状について、手術後、先天的脊髄管腔狭窄症(黄色靱帯肥厚)と診断された。

(五) 国立相模原病院整形外科の前記工藤医師は、平成三年五月一六日に、原告についての自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲二)を作成した。右後遺障害診断書には、昭和六三年一月一一日症状固定、傷病名「腰髄癒着性蜘蛛膜炎、腰髄神経根炎 ← 腰椎挫傷」、障害内容の増悪・緩解の見通しについては、「左第五腰髄、第一仙髄神経の癒着によるしびれや痛みなどの神経根症状が今後も続く可能性があるが、また時間と共に軽快する可能性もある。」と記載されていた。工藤医師は、河口外科整形外科における脊髄造影の像と国立相模原病院整形外科における脊髄造影の像が前示のように大きく異なり、半年という短期間にこのような相違が生じたこと、国立相模原病院整形外科における脊髄造影の像が断裂的な不規則な形をしていたことなどから、腫瘍等ではなく炎症によつて蜘蛛膜が癒着を起こしたと推断した。そして、原告の腰部から左下肢の傷害発生の機序について、原告に先天性黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症があり、本件事故によつて椎間板ヘルニアが生じ、それにより機械的な刺激が非常に強く加わつた結果、癒着性蜘蛛膜炎が発生したと推定した。

4  右に認定した各事実により、本件事故と原告の腰部及び下肢の傷害との因果関係について判断する。

原告には、前示のとおり、先天性黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症が存在したことが認められ、右黄色靱帯肥厚は、まさに原告が生来的に有していたものであつて、本件事故によつて発生したものではない。だが、国立相模原病院整形外科における原告の腰部の脊髄造影の像は、前示のとおり、先端部がぎざぎざで断裂的な不規則な形をしていたところ、工藤証人の証言によれば、黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症によつて造影剤がブロツクされたときの形は、原告の像のような断裂的で不規則な形態にはならないことが認められる。そうすると、右のような原告の腰部の脊髄造影の像は、黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症それ自体によつて生じたものではなく、他の要因が加わつて発現したものと解するのが相当である。この点につき、証人乾道夫作成の丙七号証及び同証人には、本件事故後原告に生じた左根性座骨神経痛の責任疾患が脊椎管狭窄症である旨の記載ないし証言があるが、これらは、あくまで原告の腰痛等の責任疾患が脊椎管狭窄症であることを主張するものであり、脊椎管狭窄症に他の要因が加わつて原告の腰痛等の症状が発生したことを否定する趣旨ではないのであるから、右認定と何ら齟齬を来すものではない。

そして、前示のとおり、国立相模原病院整形外科における原告の椎弓切除手術の結果、第五腰椎レベルの硬膜管がひどくひしやげたような状態になつており、圧迫を除去したにもかかわらず、圧迫除去により通常生じるはずの拍動が生じなかつた。また、前示のとおり、右椎弓切除手術の際、造影剤ブロツクの原因として通常考え得る、腫瘍やヘルニアの所見は認められなかつた。そうすると、国立相模原病院整形外科における原告腰部脊髄造影の像は、硬膜管内に癒着が生じたことによつて生じたものと推認できる。

右のような癒着が生じた原因について、工藤証人は、そもそも黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症があつたところに、本件事故によつて椎間板ヘルニアが生じ、それにより神経が圧迫されて神経に対する機械的な刺激が強く加わり、その結果、癒着性蜘蛛膜炎、腰髄神経根炎が生じたと推定できる旨証言した。だが、たしかに、工藤証言にあるように、癒着性蜘蛛膜炎は、ウイルス感染や化学的な刺激など、椎間板ヘルニアなどの圧迫以外の原因によつても生じうる。しかしながら、本件の場合、前示のとおり、北里大学病院での脊髄造影の結果においては、第四腰椎と第五腰椎の間で前方よりの軽い圧排像が認められたものの著明な圧排像はないとされ、河口外科整形外科における脊髄造影の結果においては、原告の第四腰椎と第五腰椎の間には椎間板ヘルニアの像が認められたのであり、この間に、傷病の変化があつたと認められるところ、前示のとおり、腰痛の既往症は存したものの本件事故の直前ころは特段の支障なく日常生活を送つていた原告が、本件事故後、腰部や下肢の強い痛みやしびれを訴え、事故後数日後には寝返りも打てない重篤な状態に陥つたのであつて、被害車両の運転者であつた高橋もいわゆる鞭打ち症と下肢の傷害で約一か月入院したことも併せ考えれば、本件事故の衝撃により、原告の腰部に椎間板ヘルニアが生じたと認めるのが相当である。この事故態様の点につき、被告は、本人尋問の際、スピードメーターは見ていなかつたが時速一五キロメートルくらいで衝突したと思う旨供述し、前示のとおり、加害車両及び被害車両の損傷は軽度のものであつたが、原告本人尋問の結果によれば、被告は事故後原告の夫に衝突時の時速は約四〇キロメートルくらいであつた旨申し向けたことが窺え、さらに、前示のとおり、被告は交差点で一時停止後発進し、脇見運転をして約三〇メートル走行した後、車間距離が約車一台分くらいのところで被害車両に気付いて衝突し、衝突後、加害車両と被害車両は約五〇センチメートルくらい車間が空いていたというのであるから、加害車両は被害車両に対し相当程度のスピードで衝突し、衝突後、停車中の被害車両が相当距離前方に動いたものと認められる。そして、前示のとおり、原告は、衝突時、助手席に浅く腰を掛け、一歳七か月になる子供を助手席の前の空間に立たせて前かがみになつていたのであるから、衝突の衝撃によつて、腰部を助手席のシート背部に強くぶつけ、もともと軽い圧排が存した部位に椎間板ヘルニアが生じるに至つたことは十分考えられることであり、前掲の被告の供述及び車両損傷の程度に関する事実は、右認定の妨げとなるものではない。また、前記乾証人は、前掲の工藤証人の推定につき異論があり、その理由は、注射や薬の刺激で蜘蛛膜が癒着することも背景事情として考えられるからである旨証言した。たしかに、右証言にあるように、注射や薬などの化学的刺激によつて癒着が生じる可能性は否定できないが、同証人も脊柱管狭窄があるところに椎間板ヘルニアが生じて強い圧迫刺激が加えられれば、炎症や癒着が生じ得ることは否定しない旨証言しており、乾証人の前記証言は、他の可能性を指摘するにとどまり、前掲の工藤証人の推定を積極的に否定する趣旨の証言ではない。そして、本件においては、乾証言が指摘するような、化学的刺激によつて癒着性蜘蛛膜炎や腰髄神経根炎が生じたことを窺わせる証拠は存在しないところ、他方、前示のとおり、原告には、本件事故により、炎症や癒着を生じさせる機械的刺激となり得る椎間板ヘルニアの症状が現に発症したことが認められる。以上の事実によれば、硬膜管内の癒着の原因は、黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症があつたところに、本件事故によつて椎間板ヘルニアが生じ、それにより神経が圧迫されて神経に対する機械的な刺激が強く加わり、その結果、癒着性蜘蛛膜炎、腰髄神経根炎が生じ、原告の腰部及び左下肢の痛み等を発生させたと推認することができる。

そうすると、原告の主張する腰部及び左下肢の痛み等の後遺障害と、本件事故との間には、因果関係があると認められる。

二  争点2(原告の後遺障害の程度及び損害額)について

1  原告の後遺障害の程度について判断するに、まず、前記認定事実及び甲二によれば、原告に生じた腰髄癒着性蜘蛛膜炎、腰髄神経根炎は、昭和六三年一月一一日に症状が固定し、他覚症状(検査結果)としては、左下腿外側から足背にかけての触覚及び痛覚の知覚低下、左長母趾伸筋等の筋力低下、左下肢の軽い筋萎縮(下腿周計右三一・五センチメートル、左三一・〇センチメートル)、左右の膝蓋腱反射やや低下、左アキレス腱反射低下、ラセグテスト左(+)四五度、自覚症状としては、左下肢のしびれ、痛み、筋力低下及び腰痛を生じさせ、また、前示のとおり椎弓切除術が施行されたことにより、第四腰椎から第一仙椎の椎弓が切除され、胸腰椎部に運動障害(前屈、後屈各二〇度、右屈、左屈各一五度)が生じたことが認められる。そして、乙四の4ないし15及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、症状固定後も、腰や下肢に痛みやしびれがあり、特に左下肢の痛みは太い布団針で刺されるような痛みであり、痛み止めの座薬や睡眠導入剤などを継続的に使用し、左下肢に跛行が生じたり躓き易くなるなどの歩行障害が生じ、特に冬場や梅雨時などは痛みが増し、痛みのために起きて活動できない状態に陥ることが認められる。だが、乙四の6及び原告本人尋問の結果によれば、症状固定から約七か月後の昭和六三年八月五日ころには、原告は、家事を行い、子供二人の世話もしていたこと、買い物も重い物を買うとき以外は、一人で買い物に行き、軽い荷物は自ら持ち帰ることができること、痛みが増す冬場や梅雨時などの時期でも、三日に一度くらい出前をとるときを除いては、痛みを我慢しつつではあるが食事の支度などができることが認められる。以上の事実を総合すると、原告の後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級第九級一〇号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)に該当すると認めるのが相当である。

2  ところで、原告の腰髄癒着性蜘蛛膜炎、腰髄神経根炎は、前示のとおり、原告に先天的に存在した黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症や事故前に存在した第四腰椎、第五腰椎間の軽い圧排など、本件事故時に既に原告が有していた既存の疾患ないし体質的要因と本件事故とが競合して発症したものである。そして、原告は、原告の既存の疾患ないし体質的要因の存在によつて損害賠償額が減額されるべきではない旨主張するが、一般に、身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害がその加害行為のみによつて通常発生する程度、範囲を超えるものであつて、かつ、その損害の拡大について被害者の既存の疾患ないし体質的要因が寄与しているときは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、損害賠償額を定めるにつき、民法七二二条二項を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができるというべきである(最高裁判所第一小法廷平成四年六月二五日判決・民集四六巻四号四〇〇頁参照。)。

そして、原告が先天的に有していた黄色靱帯肥厚による脊椎管狭窄症や事故前に存在した第四腰椎、第五腰椎間の軽い圧排等の原告の既存の症状ないし体質的要因、本件事故の態様、本件事故による原告の受傷の部位や程度、本件事故による原告の後遺障害発症の経緯等前記認定事実を総合すれば、本件事故により原告に生じた損害は本件事故のみによつて通常発生する程度、範囲を超えるものであつて、かつ、その損害の拡大について原告が事故前から有していた前示の疾患ないし体質的要因が寄与しており、その寄与の割合は五割と認める(したがつて、本件事故の寄与の割合は五割となる。)のが相当である。

3  次に、原告の後遺障害の将来の推移について判断するに、証拠(乙四の4ないし16、19、20、甲九ないし五一、同五二の1ないし43、原告本人)によれば、原告は、症状固定後も国立相模原病院等に通院し、診療と投薬を受け続けており、現在に至るも腰部や下肢の痛みに目立つた改善は見られていないことが認められる。しかしながら、乙一三号証及び原告本人尋問の結果によれば、平成三年四月一日に、神奈川県総合リハビリテーシヨン病院整形外科部長村瀬医師が原告を診察し、その結果、原告の腰痛の最大の原因は腰部を支える筋力低下であり、原告の年齢で原告のような著明な筋力低下は例がないほどであるが、専門医師の指導に基づいて三か月ないし六か月程度入院して強制的なリハビリテーシヨンに専念すれば、多大な改善が期待できる旨診断したこと、国立相模原病院の医師も、水泳などに通つて筋力アツプに努めることが腰部痛等の症状改善に役立つ旨原告に申し向けたことが認められる。そうすると、原告の腰部を支える筋力の著しい低下を回復させることにより、原告の腰部痛等の症状が改善することは十分可能であると考えられ、甲二号証(自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書)の記載も、症状が時間と共に軽快する可能性をも示唆していることを併せ考えるならば、前示の後遺障害がもたらす症状は症状固定後一〇年程度継続するが、原告が腰部の筋力の増強に努めることにより、右期間経過ころには、日常生活に支障がない程度まで改善されると推認できる。

4  以上を前提とした上で、原告の損害について判断する。

(一) 平成四年八月までの分の治療費 六九七万三七五五円

争いのない事実と証拠(甲三ないし五一、五二の1ないし43)を総合すれば、原告の症状固定前及び症状固定後平成四年八月二八日までの治療費の合計額は、六九七万三七五五円であると認められる。

(二) 平成四年九月以降分の治療費(将来の治療費) 七一万五三五七円

原告は、症状固定後も国立相模原病院等に通院し、診療や投薬を受け続けているが、証拠(甲九ないし五一、五二の1ないし43)によれば、症状固定後平成四年八月までの間に一〇九万二七四〇円の治療費を要し、この間の治療費の一年間の平均額は二三万四一五八円(一円未満切り捨て)であつたと認められるところ、前示のとおり、症状固定後一〇年間は、右と同様の治療費を要するものと認められるから、二三万四一五八円に一〇年のライプニツツ係数七・七二一七を乗ずると一八〇万八〇九七円(一円未満切り捨て)となり、右金額から既に右(一)で計上済みの症状固定後平成四年八月までの分の治療費一〇九万二七四〇円を控除すると、七一万五三五七円(一円未満切り捨て)となる。

(三) 装具費用 六万二八五五円

証拠(甲五三ないし五八、原告本人)によれば、原告は、腰椎用装具、T字杖及び特性布(サラン)の購入費用として合計六万二八五五円を支出したことが認められるところ、右装具等の購入は、前示の原告の症状に照らせば、いずれも必要かつ相当なものであると認められる。

(四) 入院雑費 二七万四八〇〇円

前示のとおり、原告の入院期間は、昭和六二年一月一八日から同年四月一一日及び同年六月三日から同年一〇月二五日まで合計二二九日であるところ、入院雑費は、一日につき一二〇〇円と認めるのが相当であるから、合計二七万四八〇〇円となる。

(五) 通院等交通費(平成四年八月までの分) 二五万一八五〇円

証拠(甲五九の1ないし180)によれば、原告が事故後症状固定までに通院等に要したタクシー代は合計四〇万三七九〇円であると認められるところ、前記認定の事実によれば、症状が著しく悪化する冬や梅雨時期などは、タクシーによる通院が相当であると認められるが、前示のとおり、原告は、通常は軽い荷物の場合は買い物に一人で行つており、本人尋問の結果によれば、本人尋問のため当法廷に出頭した際も、自宅から電車に乗つてきたことが認められるのであり、そうすると、右タクシー費用のうち、冬季及び梅雨時期を併せて一年のうちの半年間の分については相当性が存すると認めるべきである。そこで、右合計額の二分の一を算出すると二〇万一八九五円となるところ、被告は、交通費相当損害金として、二五万一八五〇円の限度では本件事故との相当因果関係を認めているので、争いのない右金額をもつて交通費相当の損害と認める。

(六) 将来の通院交通費(平成四年九月以降の分) 一一万五六八八円

証拠(甲五九の30ないし180)によれば、原告の症状が固定した昭和六三年一月から平成四年八月までの間に通院等のためタクシー代三五万三四五〇円を支出し、この間の一年間の平均額は七万五七三九円(一円未満切り捨て)であつたと認められ、前示のとおり、その二分の一について相当性が認められるところ、症状固定後一〇年間は、右と同じ限度でタクシー通院の必要性が存するものと認められるから、七万五七三九円の二分の一である三万七八六九円(一円未満切り捨て)に一〇年のライプニツツ係数七・七二一七を乗ずると二九万二四一三円(一円未満切り捨て)となり、右金額から既に右(五)で計上済みの一七万六七二五円(昭和六三年一月から平成四年八月までのタクシー代三五万三四五〇円の二分の一)を控除して算出すると、一一万五六八八円(一円未満切り捨て)となる。

(七) 休業損害 四三五万八〇三五円

事故日から昭和六二年一二月末日までの間に、家政婦雇用の費用として被告契約の保険会社が原告に対し四三五万八〇三五円を支払つたことは当事者間に争いがなく、右事実及び前記認定の右期間中の原告の症状を総合すれば、前示のとおり家庭の主婦である原告は、本件事故により家事ができなかつたために、事故日から昭和六二年一二月末までの間に四三五万八〇三五円相当のいわゆる休業損害を被つたと推認できる。

(八) 子供の保育費 一一七万七〇〇〇円

証拠(甲六〇、原告本人)によれば、原告は、本件事故による受傷のため、同人の二女である昭和六〇年六月一〇日生まれの大磯綾乃を自ら保育することができず、昭和六二年二月から平成二年九月までの間、保育園に入園させ、その費用一一七万七〇〇〇円を支払つたことが認められる。

(九) 後遺症逸失利益 一九五九万五三五八円

原告は、前示のとおり、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級第九級一〇号に相当する後遺障害を負い、症状固定時から一〇年間、その労働能力を三五パーセント喪失したと認められるところ、原告は家庭の主婦であるから、症状固定時である昭和六三年賃金センサス第一巻第一表、企業規模計、産業計、女子労働者学歴計、全年齢平均年収である年間二五三万七七〇〇円を基礎とし、一〇年のライプニツツ係数七・七二一七を乗じて算出すると、一九五九万五三五八円(一円未満切り捨て)となる。

(一〇) 本件事故の寄与割合

右(一)ないし(九)の合計額は、三三五二万四六九八円となるところ、前示のとおり、原告の傷害に対する本件事故の寄与の割合は五割と認められるから、右金額に〇・五を乗ずると、一六七六万二三四九円となる。

(一一) 慰謝料 四五五万円

(1) 昭和六三年一月に症状固定するまでの傷害慰謝料

原告は、本件事故により、症状固定までの三四九日間のうち、合計二二九日間入院し、その余の期間は通院しており、その間、前記認定のような症状を呈していたこと、本件事故の原告の傷害に対する寄与割合、その他諸般の事情を考慮すると、原告に生じた傷害により症状固定時までに原告が被つた精神的損害を慰謝するには一三五万円が相当であると認められる。

(2) 後遺症慰謝料

原告は、本件事故により、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級第九級一〇号に相当する後遺障害を負つたこと、本件事故の原告の傷害に対する寄与割合、その他諸般の事情を考慮すると、原告が、右後遺障害により被つた精神的損害を慰謝するには三二〇万円が相当であると認められる。

(一二) 損害の填補 一一八八万〇七八〇円

損害の填補額が一一八八万〇七八〇円であることは当事者間に争いがない。

(一三) 弁護士費用

本件の事案の内容、認容額及び審理経過等の諸事情に鑑みて、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、一〇〇万円と認めるのが相当である。

第四結論

以上より、原告の請求は、被告に対し一〇四三万一五六九円及びこれに対する本件事故の日である昭和六二年一月一八日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 定塚誠)

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